浜士に聞く
登谷良一

奥能登塩田村|浜士|登谷良一

昭和22年(1947年)、珠洲市大谷町生まれ。珠洲の学校を卒業後、建設関係の仕事に従事し、平成7年(1995年)から塩田の仕事に携わる。

「塩汲み3年。潮撒き10年。」

浜の仕事に携わるようになったのは1995年からです。
生まれは1947年ですから、48歳の時でした。
もちろん、最初は見習いです。当時の親方は南さんで、とても厳しい方でしたので、特に教えてもらうことも無く、見よう見まねで覚えました。

ー海水を汲むのに3年間必要な理由は?

前職は建設関係だったので、体力には自信がありましたが、力だけでは、体をすぐに痛めてしまいます。「潮汲み3年」と言われますが、海水を汲んで塩田まで運ぶ作業に、体の使い方、要領を覚えるまでに3年間は必要だと思います。
浜士の親方は日本酒の杜氏のように、塩田の全責任を負うので、職人の世界です。
釜炊きが始まると親の死に目に会えないとも言われる世界です。
何事も一緒だとは思いますが、自分で試して、学ばないと身に付きません。一人でよく訓練したことを覚えています。
潮撒きも10年ぐらいは必要です。一人前になると、打桶(おちょけ|潮を塩田に撒く際に使用する手桶)で潮を撒く時に、「クッ、クッ」という音が出るようになります。

浜士の右手

浜士の右手

浜の清掃

手塩に掛けて

ー浜士によって塩の味は変わりますか?

もちろん、浜士によって塩の味は変わります。
6時間の荒焚き、16時間の本焚きで塩になりますが、本焚きの火加減で、単にしょっぱいだけの塩になったりします。
この火加減とタイミングは自らが体験しないと身に付きません。

ー浜士がおいしいと思う塩は?

やはり、塩分だけでなく、旨味が感じられる塩が良いと思います。
実は本炊きの直後、釜に浮かぶ結晶を「一番塩|からら」と呼び、商品化を検討しています。
この塩は1回に取れる量が5kgとわずかですが、とてもまろやかな旨味があります。この一番塩でにぎったおむすびは最高ですよ。

釜屋の床

釜屋の床

塩田を守るために

ー珠洲で塩作りが盛んな理由は?

いろんな理由がありますが、能登半島の先端のため、寒流と暖流がちょうど交わるポイントになります。
佐渡の寒流と南は隠岐島の暖流がここで混ざり合うことで、海中のプランクトンが豊富になり、合わせて、湾ではなく潮の流れが速いので常にキレイな海水の状態を保つことができるためだと思います。
また、付近に河川がないことも海がキレイな状態を保てる理由だと思います。

浜士の字

浜士の字

“後釜”に

後継者の育成は私の大事な仕事ですが、やはり、教わるよりも、自ら仕事を覚えるといった積極性が必要だと思います。
やる気さえあれば、日々、自然と対話しながら、より良いものを求めることのできる素晴らしい仕事だと思います。
たまに、映画に出演したり…

不易流行—新たな伝統づくり

伝統を守りながら、新しい商品づくりを進めています。
例えば、食卓で気軽に使ってもらえる様、「やき塩」をつくりました。また、これは開発段階ですが、本炊きした直後の釜の上に、少しだけ取れる「一番塩|からら」の商品化を目指しています。
さまざまな方の日常生活の中で、珠洲の塩、海の恵みの本当の塩が使われるよう、努力していきたいと思っています。

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